yasugonsのブログ

中日ドラゴンズを深掘りします!

「わたしがブログを書く理由」 文章を通じて思いを届けたい!

特別お題「わたしがブログを書く理由

 

 私がブログを書く理由、それは文章を通じて読者に思いを届けたいからである。


 文章を通じて思いを届けたい。そう思い始めたのは中学3年生。春先から体調が良くなく、私生活に影響を及ぼし始めていることがキッカケだった。今でもはっきりとした原因は分からないが、人混みに行くと極度に緊張してしまう。心臓が胸から飛び出しそうになり、めまい、吐き気、喉の渇きに襲われる。


 始業式や全校集会など、大勢の人が集まる場面に行くと症状が現れる。集会があるというだけで自宅を出発する前から緊張し、何度も深呼吸を繰り返して心を落ち着かせる。時間が経つごとに鼓動は激しさを増し、集会が始まって10分程経過すると、呼吸が激しく乱れてその場にいられなくなる。


 次第に日常生活にも影響を及ぼすようになった。休日、大勢の人が集まる大型商業施設に遊びに行くことが苦手になり、以前まで純粋にショッピングを楽しんでいた自分は消えていた。1度症状が現れると、同じ場所に行くことが怖くなる。再び症状が現れないか心配になり、嫌な記憶がフラッシュバックする。徐々に行動範囲が狭くなっていき、電車に乗ることさえ怖くなった。扉が閉まった瞬間、次の駅に到着するまで密室空間が完成する。逃げ場がなく、症状に襲われたら助けてもらえないという恐怖心が全身を覆う。


 実際、その場に倒れてしまうことはなく、症状が辛くても病院に行くことはなかった。10分から15分待てば自然と症状が消えていくこともあり、病院に行くほどではなかった。どこかが悪いのではなく、気持ちの問題ではないだろうか。そういった思いがあったのも、病院に行かなかった理由の1つだ。元々プラスに物事を考える事が得意ではなく、マイナス要素を強く捉えてしまう癖があった。緊張しやすく、オドオドしているタイプの人間でもある。これは病気ではなく、癖がこじれたものだと思い込み、プラスに物事を捉えて症状が現れないように努めた。


 体育祭、文化祭、合唱コンクールと中学校には全校生徒が参加する行事が多い。さらに、中学3年といえば受験。他学年に比べて集会が多く、体育館に集まる度に症状に襲われていた。特に合唱コンクールでは、歌っている途中で激しいめまいに襲われ、どうしてもその場に立っていることが難しかった。友人にこっそり立ち位置を変えてもらい、万が一症状に襲われても退場しやすい列の端に陣取った。いつでも退場することができるという安心感を手に入れたはずだったのに、体と心は言うことを聞かずに耐えることができなかった。


 親と相談し、渋々心療内科を受診することになった。心の底から辛かった。症状に襲われることも辛かったが、中学3年の私にとって心療内科に通うという行為自体が辛く苦しいものがあった。恥ずかしく、情けないという気持ち。気持ちが弱い人間が逃げた場所というイメージが強く、理想の自分と現実の自分とのギャップに悩んだ。

 

 受診している人は大半が大人で、私のような子どもはほとんどいなかった。厳しいと言われる社会に耐えられなかった人はまだいい。社会に飛び出してすらいない中学生が、何を悩むのだろうか。大人に比べたら小さな悩みのはずなのに、そんなことにも耐えられないのか。君は社会では通用しない。神様にそう言われている気がして、落雷のような激しい衝撃に押し潰された。


 ある国語の授業中、私は教師に文章力を褒められた。独創性があって面白いと。今まで文章力を褒められた経験がなく、純粋に嬉しかった。思い返せば、文章を書くことは嫌いではなかった。小学生の時、夏休みや冬休みに読書感想文や作文の宿題が課された。友人達は長い文章を書くことが苦手だとか、時間がかかって面倒くさいと嘆いている。しかし、私は苦痛ではなかった。賞を獲得するほど優れた文章力はない。ただただ文章を書くことが楽しい。友人に合わせて文章を書くことが苦手だという設定にしていたが、自分の世界に没頭できる時間が貴重で好きだった。


 教師に文章力を褒められてから高校、大学と時間が流れた。変わらず賞を獲得する文章力は持っていなかったが、文章を書くという行為は好きだった。大学卒業後、新卒で就職したが、心が辛くなって3ヶ月で退職した。この時、心療内科には通っていなかったが、いつも持ち歩いているカバンの中に薬を忍ばせてた。中学3年の時に処方された薬。恐らく薬の有効期限は切れているが、薬をあるというだけで安心感があった。


 薬を飲むと、6時間ほど心が落ち着く。人混みや緊張する場面でも、薬を飲んでいれば激しい鼓動に襲われることはない。めまいや吐き気にも襲われず、処方された時は毎日のように薬を飲んでから学校に通っていた。ただ、副作用もあった。薬の効果が切れ始める頃、耐えられないほどの眠気に襲われる。6時間分の疲れが一気に押し寄せるような感覚。いつ人混みに行くのか計算して飲まなければ、大変なことになってしまう。


 中学卒業後から薬は飲んでいなかった。高校でも大学でも症状に襲われたが、薬を飲んだ後にやってくる副作用が日常生活に与える影響が大きく、万が一に備えて持ち歩くだけにしていた。出番は少ないけれど、欠かすことのできない相棒のような存在だった。


 会社を辞めてから、ニート生活に突入した。好きな時間に起きて、好きな時間に寝る。日中、やりたいことに専念し、趣味にも没頭できる。最高に楽しい時間だったはずだが、2週間すると時間が余るようになった。時間は無限にあっても、お金には限りがある。少しずつだが確実に減っていく銀行の通帳を見ると、家の中で大人しくしていることが得策のように思えてきた。新型コロナウイルスが流行し、以前に比べて外出しにくい社会の雰囲気も重なり、家でパソコンを見る機会が増えた。


 その時、見つけたのがブログ。新聞記者や作家のようなプロでなくても、多くのブログがあることに驚いた。日記のようなもの、趣味を紹介するもの、商品を宣伝するもの。書き方に統一性はなく、年齢や性別も関係ない。私がザッと見ただけでも、文章を通じて自由に表現できる場だと感じた。これなら、素人の私にも書けるかもしれない。希望のようなものを抱き、明るくて前向きな気持ちにさせた。


 人見知りの私は、元々人前で話すことが得意ではなかった。慣れれば問題なくコミュニケーションを取ることができるが、慣れるまでに時間を要する。2度、3度会ったとしても、慣れない人は慣れない。頭が真っ白になり、会話のキャッチボールができなくなる。相手の言葉は聞こえている。それに対する答えが浮かばず、頭で必死に考えても単語が思い浮かばない。考えているのに、何を考えているのかさえ分からなくなってしまう。

 

 通常であれば気にも留めない会話でも、1単語ずつゆっくり息を吸ってからでないと言葉が出てこない。何とか会話が終わると、背中にびっしょりと汗をかいている事に気づく。季節関係なく、背中とシャツが糊でくっついたように離れない。疲れもドッと押し寄せる。


 文章なら、緊張することなく自分の思いを届けることができる。基本の型から逸脱し、癖の強い文章だったとしても、大好きな文章を書くことができる。自分の世界に没頭することもできる。作家の職場体験のような、実際に社会に情報を発信できるというツールに、大きく惹かれるものがあった。閲覧数や影響力は別として、文章を通じて思いを届けたいという願いは叶う。自分の好きな事だから、やりがいも感じる。


 こうして、私はブログを書き始めた。飽き性で、何度も途中で更新が止まったが、気が向くと再び投稿を始めた。今は大好きな中日ドラゴンズについて投稿している。ブログを始めてみたが、何を書けばいいか分からなかった。そこで、私が1番熱中しているドラゴンズについて書くことにした。2月のキャンプインから10月のドラフト会議終了まで、話題が尽きない。何があっても、ドラゴンズの応援だけは辞められなかったから、それほどドラゴンズを愛していることなのだと思う。


 ドラゴンズは面白い。近年、低迷を続けて優勝からは遠ざかっているが、伸びしろという点だけを見れば日本のプロ野球チームの中でトップなのではないか。ミスがありながらも若手が奮闘し、必死に勝利を掴み取ろうとする姿。2011年の優勝を経験した選手が、プレーでチームを引っ張る姿。どの球団もそうかもしれないが、期待の選手が育てばドラゴンズも優勝は夢ではない。


 心に秘めた思いを最も爆発させられるのも野球。1つのプレーに熱狂し、多くの意見が飛び交う。確かな答えはなく、敗戦を重ねながら成長していくチームの姿は美しい。優勝、日本一に輝くチームだって、全戦全勝というのはありえない。143試合戦うレギュラーシーズンにおいて、50回は負けるものだ。最強と呼ばれるチームでも50回は負ける。これが実に面白い。


 会話、声に出して思いを届けることは苦手だが、文章にすることで届けられる。誰かを傷つけないよう細心の注意を払いながらも、自由な形式で社会に発信できる。私がブログを書く理由。それは文章を通じて読者に思いを届けたいからである。